@article{oai:keiwa.repo.nii.ac.jp:00000631, author = {徐, 子峰}, journal = {人文社会科学研究所年報}, month = {May}, note = {紀要論文 / Departmental Bulletin Paper, 黄河流域は中華文明の揺籃の地であり、中華文明発祥の中心である。この理論は、考古学研究の発展と深化に伴い、特に1970年代以降全国各地で新しい発見が次々と世に問われるにつれて、「満天の星」説という重大な挑戦に直面した。研究によると、中華文明の発生と形成は主に三つの地域に端を発するとされている。それは南方の長江流域、中原の黄河地域、北方の遼河流域である。そして北方の紅山文化が有する豊富な内容と独特な文化の様相は、西遼河流域が中華民族の重要な発祥地の一つであり、また、中国北方文明の重要な源であることを有力に証明している。紅山文化が新石器時代、特に中華文明の起源における重要な地位を確立したのは2回の転機があったからである。その1つは紅山文化の玉器確認の研究であり、もう1つは紅山文化の壇と廟と塚の発見である。紅山文化の後期に出現した東山嘴祭壇と牛河梁女神廟、積石墓の巨大な「ピラミッド式」建築は、紅山文化と中国文明の起源に関する新しい内容を加えた。また、紅山文化が中華文明の起源と密接に関係した中国北方文化として重要であることが判明した。紅山文化の成熟した玉器の組み合わせと玉器の文化群、紅山文化の壇、廟、塚が示すのは、巨大な社会機能と厳密に組織された管理秩序と文化レベルであり、紅山文化がすでに文明時代へと接近していたことを確信させる。紅山大地の文明の光はまさに、神権と族権とが結合した独特の方式をとって太古の西遼河流域に出現したのである。}, pages = {133--145}, title = {紅山文化と中国北方文明の起源について}, volume = {4}, year = {2006} }